新たなチャレンジをウズベキスタンで
日本からは週一便、成田から9時間の「二重内陸国」
私は5月31日成田を発ち、中央アジア・ウズベキスタン共和国の東部にあるリシタンという市に来ました。ここで日本語教師を始めるためです。私の日本語教師の道は70歳で判断、75歳で実行でした。
ここ中央アジアは、「スタン」が国名に付く国が多く、カザフスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギス(タン)、トルクメニスタン等々があります。「スタン」とは、「土地」や「国」を表す言葉だそうです。〇〇スタンというとなんとなく物騒な国々というイメージを持つ方もいると思いますが、ここウズベキスタンは比較的政情は安定しており、国民は平穏な暮らしをしています。
日本からは、成田から飛行機で9時間程度、直行便は金曜日に発つ1便のみと、まだまだ身近な国とはなっていないようです。またウズベキスタンは、世界で2カ国だけという『二重内陸国』、つまり海岸線に行くまで少なくとも2国の国境を超えなくてはならないという立地の内陸国です。海が無く海外との物流に大きなバリアがある国です。そのため海外との交易はトラックが中心で陸路を使って物を運んでいます。当然近隣の大国ロシア、カザフスタン、中国等との交易は避けられないとのことです。
Googleマップ:ウズベキスタンと周辺国
退職後に知った「のりこ学級」。日本語を学ぶ外国の若者たちの存在
私が日本語教師を目指したきっかけは、長く勤めた明大の仕事を退職してから新たに何か社会に役立つようなことはないものかと考えていたときに、ウズベキスタンに『のりこ学級*1』という日本語学校があること、そこで日本語を学びたい若者がおり、それをサポートする人材が圧倒的に不足していることを知りました。ここの校長のガニシェル氏にメールしたところ『ぜひ来て欲しい』ということを言われました。
でも日本語を教えに行くといっても日本語教育に関する知識もないのにただ行っても役に立たないと思い、一念発起、2019年から専門学校に通い、「420時間」の講習*2を受け、2020年に日本語教師資格を取得しました。その時が丁度70歳で古希を迎えた頃でした。その後コロナ禍にみまわれ海外渡航制限等で諦めていましたが、徐々に緩和され家内の了解も得てようやくこの地に来ることになりました。
*1 のりこ学級:ウズベキスタン・リシタン市にある、誰でも無償で日本語が学べる教育施設。故・大崎重勝氏が設立し25年となる。大崎氏の奥様の名前にちなんで「のり子学級」名づけられた。
*2 「420時間」講習:文化庁の登録日本語教員制度が定める取得ルートのひとつ。
2024年4月より新制度へ移行し国家資格化。合格基準を満たしたものは「登録日本語教員」として登録される。登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関の登録を受けた機関で課程を修了するには、大学等(26単位~)、専門学校等(420単位時間~)が必要。(参考サイトは記事の最後に掲載)
もうひとつのきっかけ 国際大学での留学生との出会い
もうひとつのきっかけは留学生との出会いです。2013年に明治大学から派遣され新潟県南魚沼市にある国際大学(International University of Japan:IUJ)の事務局長に就任しました。そこでたくさんの留学生(主に東南アジアから)に出会い、彼らが日本での学習・研究を懸命にやっている姿に打たれ、なんとかサポートできないかと考えました。また、当時の学長が北岡伸一教授(政治学者)*3で、北岡先生が途上国の発展に尽力していることもきっかけのひとつでした。
*3北岡伸一(キタオカシンイチ)氏 2015年から国際協力機構 (JICA)の理事長に就任して途上国の人材育成や日本の外国人労働者受け入れなどに尽力、2022年4月より特別顧問。
のりこ学級ガニシェル校長と
日本語を使って日本語を教える「直接教授法」
ウズベキスタンに来てようやくひと月なのでまだ多くを語れませんが、私の日本語教育の手法は『直接教授法』というもので、日本語を使って日本語を教えるというやり方です。もっとも私はウズベク語を全く話せませんので、現地のことば*4で教えることはできません。
言語は「話す」「聞く」「読む」「書く」ですが、「聞く」のが最も習得が早く、次に「話す」「読む」「書く」のようです(読む、書く、の順番は微妙ですが)。たとえば、1~2歳のこどもは、字は読めなくとも両親や兄弟といった周りの人々のことばを耳から聞いて話すことを徐々に覚えていきます。しかし、ここウズベキスタンで大方の子は、10歳ほどの年齢から初めて日本語を学びはじめます。ひらがな、カタカナ、漢字を読む、書くのはとても難しそうです。
※4現地のことば公用語はウズベク語。1992年以降はラテン語表記となった。以前はキリル文字表記だったため、現在もキリル文字の表記も多い。
日本語の「数」の難しさ。説明に四苦八苦、質問にタジタジ!
とりわけ「ものを数える」ことや時計の読み方、カレンダーの日付の読み方には手を焼いています。鉛筆の「いっぽん」、「にほん」、「さんぼん」という読み方を日本語学者はそれなりに理論的に解説するのでしょうが、幼い外国の子どもに説明しようとしてもおよそムリな話です。時計の時間の読みも「四時」を「よじ」というと「なぜ『よんじ』じゃダメなのか」と言われる始末です。同じように「7じ(ななじ)→しちじ」や「9じ(きゅうじ)→くじ」の読み方にも四苦八苦。説明を求められでも、これらにはタジタジです。
でも、ここの教室に来ている生徒たちは、高い目標・志を持もち懸命に学習しています。日本の大学に行きたい、日本で働きたい、ウズベキスタンで日本語を使う仕事に就きたい等の強い意思を持つ子が多いです。その多くは初めて日本語を学ぼうと来ている「あいう・・」もおぼつかない子どもたちです。特に夏休みにはいった5月末からは、近隣の町々からたくさん詰めかけています。
ここに来る子は7歳~18歳が主ですが、大学を卒業してから日本語を学習に来る青年もいます。ちなみに5月に行われた中央アジア日本語弁論大会では、この教室から出場した生徒が見事優勝を果たしました。日本語を習得し、日本就航のウズベキスタン航空に就職してキャビンアテンダントになりたい、と目を輝かせている17歳の女性もいます。
6月はじめには、駐日本ウズベキスタン大使(アブドゥラフモノフ氏)が突然こちらの教室を訪問され、子ども達を励まし、私たちボランティア教師に謝意を示して帰りました。このように現地ではここの教室は結構知られた存在ではあります。しかし、子どもからはいっさい月謝をとらず無料で日本語を教えています。篤志家からの寄付とボランティアや旅行でこの教室を訪れる方々からの宿泊代等で教室の運営費を捻出しています。ですから、当然運営費は逼迫しており苦しい財政状態が続いています。
授業後子どもたちと
のりこ学級の一日 はやりの日本の歌を全員で歌ってから日本語レベルに合わせた授業を
ここでの一日の動きを紹介します。朝8時開門、生徒が三々五々集まり、9時から朝礼。朝礼では朝の挨拶、今日の日付の確認、今日の授業予定の確認、挨拶のことばを全員で言い、子どもたちへお知らせごとや注意事項などを伝達、漢字の読みをみんなで行います。そのあと、日本ではやっている若者向けの歌を歌います。私が着任したときは菅田将暉の「まちがいさがし」を、今はキロロの「未来へ」を全員で斉唱します。私の知らない歌をみんな大きな声で歌っているのにはびっくりしました。その後9時30分からと10時30分から各50分間、それぞれの日本語レベル(日本語能力:N5~N1)の授業を行います。
午後は2時に昼礼を行い午前と同じ流れで授業等を行い、5時にはすべて終わり閉門します。それが一日の大きな流れです。その間「あいう・・」もままならないたくさんの子ども達に日本語入門の集合教育を行います。朝から閉門までいる子、午前で帰る子、午後から来る子等様々です。そこは自由に運営されています。
駐日ウズベキスタン大使来訪時
両国の友好の一助に。子どもたちと交流を重ねていきたい
この『のりこ学級』は1999年に作られ、校長のガニシェル氏の情熱と資金力で今日まで続いてきた組織です。これからどのような歩みを続けるのか不明なところがありますが、日本とウズベキスタン両国の友好のためにも是非永続的に続く組織であってほしいと感じています。
私は既に高期高齢者の域に達しています。気負ったところは既にありませんが、非力ながらしばらくの間ここに滞在し、子どもたちとの交流を重ね、この友好の梯の一助になりたいと思っています。
元明治大学職員
大野 友和
関連サイト
「元気です」ウズベキスタンからご挨拶 ※明治大学mmcのサイトへ移動します
のりこ学級紹介HP(株)ニッポンドの公式サイト
キヌヤ>子どもたちの未来を支える
リシタンにある無償の日本語学校-noriko学級-について
日本語教育(文部科学省)
https://www.mext.go.jp/a_menu/01_p.htm
「登録日本語教員の登録申請の手引き」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/pdf/93982901_17.pdf