断ち切れ「貧困の負の連鎖」!これが私のミッション!
フィリピンでユニカセ・コーポレーション創立
貧困を脱却するロールモデルを輩出するために、2010年5月にソーシャルビジネス「ユニカセ・コーポレーション」を創立しました。“ユニカセ”とは、英語の“ユニーク”とタガログ語の“カセ(ビコーズの意味)”を合わせた造語で、「なぜならば、(私たちは)特別な存在だから=オンリーワン」という意味が込められています。フィリピン人スタッフや日本人・アメリカ人のインターンたちみんなで作った名称です。
ユニカセ・フィリピンスタッフたちとの合宿時(左)
ユニカセ・フィリピンスタッフたちにトレーニングをしている時(右)
恵まれない環境で生まれ育った若者たちの人材育成を目指し、学歴に関係なく彼らが仕事に就き、収入を得られる場を提供するため、2010年8月にマニラ首都圏のマカティ市にレストランをオープン。
フィリピン、特にマニラ首都圏では、油や砂糖を多く使用した食事が多く、生活習慣病にかかる人が多いのです。そのため、各種疾病を予防するために、野菜などの相性の良い食材の組み合わせを学び、オリジナルレシピを開発しました。フィリピンではフランチャイズ店が多く、差別化を図るために「自然食レストラン」として健康的な食事を提供する戦略を実践しました。
ヘルシーレストランとしてベスト賞を受賞した時(左)
ユニカセ・レストランのオープン以来のベストセラー:ネギトロハンバーグ(右)
レストランを開業してから10年間で、約70人の貧困層出身のスタッフを雇用しました。開店当初、多くのスタッフが「お店に来るだけで、いるだけで給与がもらえる」と勘違いし、働くことの意味を理解していませんでした。無断遅刻、無断欠勤をしなかったスタッフは、70人中、たったの3人という冗談のような状況だったのです。
貧困問題に取り組むことは、人々の人生に関わる長期的な取り組みです。様々な問題を解決させるために走り回る日々を送る中、疲労がピークに達していたようで2016年に子宮体癌と診断されました。
急遽、マニラで手術を受け、癌が転移している可能性もあったことから、4か月間ほど放射線治療を受け、そして時間経過とともに癌を克服していきました。その頃には、毎月の売上目標を達成し、経営が安定し始め、スタッフ一人一人が、自身の給料を稼ぐことができるまでに成長を遂げていました。そして、2020年には、ユニカセ・レストラン10周年を迎えようとしていたのです。
癌を克服し、6周年記念の際、NHK World “Side by Side” で特集
しかし、2020年3月にはコロナ禍に突入し、突如、パンデミックによるロックダウンが実施されました。フィリピンでは、食料品や薬の購入以外の外出が禁止され、店内飲食は一切禁止。800名以上の海外からのスタディツアーの予約はすべてキャンセルされ、一時期はケータリングでの営業を続けましたが、半年以上もの間、外出禁止令が続き、フィリピン人の失業が増加し、注文は激減しました。
政府からの給付金や支援金もなく、営業を続ければ続けるほど家賃が負債として積み重なっていく中、代表者のフィリピン人スタッフが精神的に耐えられず、私が預けたお店のお金を持ち逃げしてしまい、2021年に残念ながら閉店を余儀なくされたのです。
日本でユニカセ・ジャパン設立
2010年にフィリピンのユニカセ・レストランをオープンして以来、NHKや民放のテレビ番組で何度か紹介され、寄付をしてくださる方々が増えました。その当時、人材育成事業をさらに強化する必要性を痛感していたことから、2013年7月に日本でNPO法人ユニカセ・ジャパンを設立。
以来10年間に渡って、フィリピンの社会問題の一つである「貧困の負の連鎖」を断ち切ることを目指し、恵まれない環境で生まれ育った青少年たちに実践的な青少年育成事業を提供しています。また、日本でも講演活動やイベントを行なっています。
2020年にコロナ禍に突入した時は、すべてを失ったかのように感じました。しかし、貧困から抜け出したロールモデルとして成長したフィリピン人スタッフたちが、「過去にユニカセで学んだことを次世代に継承したい」と提案してくれました。ビジネスの実践から習得した学びを基にまとめた英語研修やビジネスマナー研修をパートナー団体のNGOの受益者たちにオンラインで提供するようになりました。
また、2017年から実施している健康的な食事に関する知識を伝える食育事業も継続しています。現在、日本の学生スタッフが中心となって、フィリピンで最も有名な日本人と称されているFumiya氏にもご協力いただき、Healthy Daily Oishi CookingというFacebookアカウントを通じて情報発信を行なっています。フィリピンの貧困地域では、フィリピン人スタッフがオンラインや対面で食育事業を実施しています。
Fumiya氏にもご協力いただき、継続しているSNS食育(左)
現在の貧困地域でのユニカセのトレーニング風景:対面式食育(右)
「社会起業家」として、前に進む
私は、自分自身が「リーダー」には向いておらず、むしろ、リーダーを支える2番手が一番合っていると思っています。しかし、伝えるべきことがあれば、遠慮なく言葉に出す性格です。また、必要だと思えば、直感的に行動してしまうところがあり、気が付けば「社会起業家」としての道を歩み始めていました。
現実は、自分が望んだこととはかけ離れていますが、今では「社会起業家」としてのアイデンティティが、私の人生で得た最高のミッションだと感じるようになりました。
家族を失ったからこそ今の自分があるのです。これでもか、これでもかと試練が襲ってきましたが、それらは私の成長に必要なプロセスだと受け止め、これからも道を切り拓いていきます。前へ、前へ、自分の人生は創っていくものだから。
子どもたちが安心して暮らせる社会を作るために
2002年から国際協力の仕事に携わって痛感したことは、残念ながら「紛争」や「貧困」をなくすことは不可能に近いということです。しかし、目の前の一人一人に向き合う「草の根活動」を続けることで、彼らの人生を変えるきっかけを作ることができます。そして、彼らの子どもたちの人生も確実に変わっていく様子を自分の目で見てきました。
現状をすぐに変えることはできなくても、10年後、30年後、50年後に向かって、より多くの子どもたちが安心して暮らせる社会を実現するために、「貧困の負の連鎖」を断ち切ることを目指しています。今まで継続してきたように、これからも、貧困から脱却したロールモデルを輩出し、子どもたちが笑顔になれる未来を築くために尽力します。
ユニカセは「大きくよりも、深く」を心掛け、青少年たちの経済的自立を実現させるために、彼らの人生に寄り添いながら活動を続けてまいります。応援していただければ幸いです。
ユニカセ・ジャパンの学生スタッフや卒業生たち
1992年卒業
商学部商学科
中村 八千代
(フィリピン)UNIQUEASE Corporation 創立者
(日本)特定非営利活動法人 ユニカセ・ジャパン 理事長
明治大学マニラ紫紺会 事務局長
執筆者プロフィール
中村 八千代(なかむら やちよ)
1969年、東京生まれ。1992年に明治大学商学部卒業後、カナダに留学。
帰国後、父親の会社が倒産したことで、父親の借金の一部(4億円)の連帯保証人だったことが発覚。父親の代わりに借金を返し続け10年が過ぎた時、返済終了。2006年に途上国の恵まれない子どもたちを支援する「認定 NPO法人 国境なき子どもたち (KnK)」の現地派遣員としてフィリピンに赴任。
2010年、フィリピン、マニラで貧困の連鎖という社会的課題を解決するため、ソーシャルビジネス「UNIQUEASE Corporation(ユニカセ・コーポレーション)」を創立。フィリピンの貧困層出身の青少年たちを雇用し、彼らの社会復帰と自立を目指し、ビジネスマナーや基礎的なマーケティングを含むユニカセ・オリジナルの人材育成研修を実施。
2013年、実践的な青少年育成事業を強化するため「特定非営利活動法人ユニカセ・ジャパン」を設立。フィリピンの青少年たちと日本の学生が、実際の事業企画や運営に携わり、グローバルな働き方を学ぶ機会を提供。現在に至るまで、フィリピンでの自立サポートを行う傍ら、日本の学生へ講演活動や研修事業も実施。
ユニカセ:https://www.uniquease.net/
Facebook: https://www.facebook.com/UNIQUEASE.Restaurant/
Instagram: https://www.instagram.com/uniqueasejapan/
X(旧Twitter):https://twitter.com/Uniquease_Japan
Healthy Daily Oishi Cooking (食育)
https://www.facebook.com/Healthy.Daily.Oishi.Cooking
公開講座のご案内
2024年6月28日(金)19:00~20:30において、明治大学校友会寄付講座「国際協力の新しいカタチ~フィリピンにおける草の根事業 ソーシャルビジネスの取り組み~」が対面とオンラインのハイブリッド型で開催されます。ブログとは一味違うリアルな内容が伺えます。お時間のある方はぜひご参加ください。
【対面型】で受講をご希望の方はこちら
開催場所:駿河台キャンパス アカデミーコモン11F
【オンライン】で受講をご希望の方はこちら
ZOOMを利用した配信型となります。
申し込み締め切り:6月27日(木)10:00