海外勤務を目指すならクリアなイメージと体力で勝負!
2013法学部を卒業した鈴木淳一朗 です。現在はメーカーに勤務して米州の営業統括を担当しています。在学中から今の働き方に至った経緯や考えていることをお話ししながら、海外勤務を考えている方へのアドバイスもお伝えできればと思います。
将来を意識して過ごした学生時代
明治大学へは2年間の放浪期間を経てから入学しました。その時の心情としては、何か(将来に繋がるような事を)しなくてはという漠然とした焦りのようなものを感じていたのを覚えています。もちろんながら年下の同級生もいましたし、同じ年の学生は就活もリアルな3~4年生に進んでいました。
周りと少し違う自分を感じていたからなのかもしれません。そんな環境下もあって、特に1~2年生の間は比較的真面目に学業に取り組みました。単位取得を目当てにするというよりも、将来の自分の為になりそうな授業を意識的に取っていた記憶があります。
中でも、明治大学に所縁のある鯖江市で行われたプロジェクト型学習の「鯖江ブランド創造プログラム」*1に参加し、チームの仲間とフィールドワークやプレゼン準備を夜通しで取り組んだことが非常に印象に残っています。この経験が後に役立つことになります。
*1 明治大学創立者の一人である矢代操の出身地、福井県鯖江市と明治大学は2011年に協定を締結していて様々な交流がある。「鯖江ブランド創造プログラム」はその中のひとつで、明治大学就職キャリア支援プログラムと鯖江商工会議所によるもの。
海外で働く~商社マンからメーカー営業へ転身
今の会社は2社目で、日本国内メーカーの海外営業としてアメリカに駐在しています。1社目は小さな専門商社で、エジプトに5年半ほど駐在して北アフリカ、東アフリカ地域での営業を行っていました。主に代理店営業を行っており、既存の代理店との販売計画立案や、新規で代理店設定をする場合は市場調査実施などの業務を担当しておりました。
その後、商社という仲介者の立場から、メーカーに移って海外営業をしたいという思いが芽生え、現在の会社に転職し、今に至ります。メーカー営業とは自社商品を販売し広めていくという仕事です。この芽生えた思いの根底には、鯖江ブランド創造プログラムを通して知った、自分の足で市場を調べてニーズを把握し、それに合う提案をすることで得られる相手(客先)からの反応に魅力を感じたからだと思います。
カルタヘナ(コロンビア)にて同僚と
乗り越えられない壁に耐える体力
働く上で意識していること、大事にしていることが2つあります。ひとつは「体力、体調管理」です。現在の仕事のポジションは全アメリカ大陸の営業管轄ですので、北米南米を問わず頻繁に出張が発生します。日本から南米に出張に行くのと比べれば、「移動時間や時差」*2という意味では多少は楽ですが、それでも身体的に負荷はかかるので、健康管理や体力維持には気を付けるようにしています。
体力が肝心という話をすると、どうしてもブラックな会社像が想像されてしまうかもしれませんが、今後どれだけ技術が進歩しても時差という壁を人間が乗り越えられることはないでしょう。海外とビジネスをする上で移動時間や時差は切っても切り離せない要素と感じています。
また、南米にはアンデス山脈もあり比較的標高が高いエリアも多く、高山病のような症状が出ることもあります。特にそのようなエリアに行く際には調子を整えるようにしています。年齢を重ねるごとに体力に変化はつきものですから、30歳を過ぎてから体力づくりとして、ストレス発散を兼ねてキックボクシングを始めました。
ジムには、仕事に全く関係のない社外のコミュニティに属する事で得られる刺激や知見も多く、毎週のトレーニングは趣味と実益を兼ねた楽しみな時間となっていることから、意外と自身の管理はもちろん、視点を広げることに役立っています。
*2 移動時間と時差 例としてブラジルに渡航する場合、日本からは乗り継ぎを入れて約26~28時間。北米エリアからの渡航は10時間前後、時差は1~4時間となる。
前進は地道な「確認」の積み重ね
大事にしていることのふたつ目が「前提の確認」です。
付き合いの長い友人や家族との間ですら、物事に対する認識の違いというのは生まれやすいものです。それが風土の違う異国や、対外国人だとなおさらです。例えばですが、家具付きのアパートに引っ越したとします。備え付けのTVはあるけども、それが映るかどうかは別問題ですし、コンセントがあったとしてもそこに電気が通っているという確証はありません。
観光地でラクダに乗る際に10ドルと言われて合意しても、ラクダから降りるのは別料金を請求されることもあります。エレベータ付きのアパートに住んだとしても、ずっと点検中で使えなかったり、そもそも停電が頻発してエレベータ内に閉じ込められるリスクがあるので階段を使った方が良かったり、といった事態もあり得るのです。
仕事においてもそれは同じことです。メールを送っても、それが実際に届いているとは限りませんし、メールが相手に届いていたとしても、それが読まれているとは限りません。読まれていたとしても、相手が理解しているかどうかは別の話です。
理解されていたとしても、こちらが期待するアクションを取ってくれるかどうかは分かりません。前提を(時にはしつこいくらい)確認して、相手と認識を揃えて、ひとつずつ物事を前に進めていく。その地道な積み重ねを大事にしていく日々です。
具体的に働く自分をイメージすることが海外で働くことへの第一歩
さて、海外で働きたい在学生や転職活動をする卒業生の皆さんにお伝えしたいことがあります。海外と一言で言っても、日本以外の国は190数か国あります。最初に「どこで、どんな働き方をしたいか?」それを具体化するから始めてみてはどうでしょうか。
アメリカなのか欧州なのか、あるいはアジアなのか。もし具体的に働きたい国が決まっているのであれば、その中のどこの都市で、どのような仕事をしているのかを映像でイメージしてみるといいと思います。
次に働く環境です。勤務場所はオフィスなのか、研究所のような施設なのか、或いは工場のような生産現場なのか。そもそも出勤するのかフルリモートなのか。服装はスーツなのか作業着なのか、普段着か。同僚はどこの国の人でしょうか。取引先はどのような会社か(日系企業かどうか)、仕事で使う言語は何でしょうか。自分自身の雇用形態は駐在員としてか、あるいは現地採用か、それとも個人事業主でしょうか。
こうしてそのイメージを解像度高くする中で、自然と働く会社や職種も絞れてきませんか?その上で、情報収集していけばいいと思います。知り合いを紹介してもらったり、リンクトイン*3等を経由してコンタクトを取ってみたりしていくうちに、その仕事に必要なスキルもわかってくると思います。自分に足りないと思ったらそのスキルを身に着ける努力をすれば自然とありたい姿に近づいていくはずです。
ちなみに私の場合は、学生時代は漠然と途上国・新興国で働くことをイメージしていました。何故かと言われても正直なところ当時はそこまで深く考えていませんでした。所謂「私立文系」人材として、営業・マーケティング的な仕事がしたいな、旅行では中々いかないような国の方が面白そう、という感じです。そこから縁あって入社することになったのが、中東アフリカ地域に多く拠点を持っていた1社目の専門商社だったというわけです。
因みに、当時その一社目の会社は現在人材募集をしていないという記載がホームページにありましたが、気になる会社だった為、問合せページから履歴書を送り、面接・採用に繋がりました。採用中という門戸が開かれている状態だと他にも応募者がいるでしょうから必然的に競争が激しくなります。この方法が必ずうまく行く保証はありませんが、ドアが開いていないのであれば、どうやってドアを開けるのかを考えるのも大事な思考だと思います。
*3 リンクトイン:LinkedInは世界最大級のビジネス特化型SNS、および同サービスを提供するシリコンバレーの企業。
来日されたお客様との一枚
日本に帰るときまでに実現したいこと
私もいつか帰任する日が来ます。そこで、今、考えていることや今後の目標について、最後に触れてみたいと思います。
まず米州の営業統括という立場から、お客様に何を提供していきたいかです。既存のお客様が「弊社の製品を使う事でさらに商売繁盛するように」していくこと、新規のお客様には「弊社の製品を使う事の価値をより分かりやすく感じてもらえる仕組みを作ること、私の帰任後も製品の評判が広く市場に残り、製品自体がその魅力を語るような状態にしていくことが必要だと考えています。
そして個人的には、アラビア語を習得できなかったというエジプト駐在時代の反省があるので、今回はスペイン語を仕事で使えるレベルに持っていけるようにしたい、というのも目標のひとつです。仕組みづくりや語学の壁はなかなかハードルが高いものではありますが、一つ一つ達成に近づけていきたいです。
2013年
法学部卒業
鈴木 淳一朗
参考リンク
明治大学HP:福井県鯖江市との連携事業
https://www.meiji.ac.jp/social/japan/founders/sabae.html
鯖江市HP:明治大学・鯖江市連携協定締結
https://www.city.sabae.fukui.jp/about_city/gakuseirenkei/renkeikyotei/meijiac20111118.html